仏さまを仰ぐ
一仏両祖(三尊仏)
御絵像
自宅で法事を営む時、曹洞宗では一仏両祖(いちぶつりょうそ)「三尊仏(さんぞんぶつ)ともいう」掛軸を掲げます。
真ん中がお釈迦さま、向かって右は、1244年(寛元2年)大本山永平寺をひらき禅を日本に伝えられた道元禅師(どうげんぜんじ)さま、左には大本山総持寺をひらかれた4代目の瑩山禅師(けんざんぜんじ)さまが描かれています。
お釈迦さまは2600年ほど昔、インド釈迦族の王家に生まれ、なに不自由ない生活を送っていました。
しかし、こんな毎日を過ごして良いのだろうか、という疑問を持ち家を捨て、道を求めて修行を続けたのです。
さとりの境地に達して、仏陀(ぶつだ)になられたのは35歳の時でした。
このお釈迦さまの教えを弟子たちが語り継ぎ、受け継いできたのが仏教ですが、その中でも曹洞宗は広く一般に禅宗と呼ばれております。
禅とは「ディヤーナ」つまり「心を沈め、真実を体得する事」を意味するサンスクリット(古代インドの公用語)の言葉に「禅那」(ぜんな)とうい漢字を当てはめ、さらにこれを「禅」の一字に略したものです(坐禅宗)。
750年近く前、この禅を中国で学び、我々の日常生活の中で実行できるように教えられたのが道元禅師、それを受け継がれ広められたのが瑩山禅師でした。
道元禅師は正治2年(1200年)、京都にお生まれになりました。
幼いとき、父母を失った事から無常感にうたれて出家、真の仏法を求めて比叡山などを訪ねた後、24歳のとき中国へ渡ります。
遍歴のすえ天童山で如浄禅師(にょじょうぜんじ)と出会い、その指導のもとで「身心脱落」(しんじんだつらく)の自在な境地に達せられました。
このお釈迦さま直伝の仏法を身につけて帰国した禅師は、54歳で亡くなられるまで坐禅を中心とした厳しい修行で弟子を育て、その禅風が今日の曹洞宗の基盤になったのです。
道元禅師が亡くなられて15年後(文永5年)、瑩山禅師が今の福井県でお生まれになり13歳で出家、永平寺で修行の後、加賀の大乗寺など多くのお寺で禅を説かれました。
その1つが能登の総持寺で、鶴見の総持寺(明治40年建立)の祖院です。
禅師は、道元禅師の精神をふまえながら、さらに民衆の願いに答えて祈祷や儀式をとり入れ、禅の大衆化に努められました。
曹洞宗が各地へ広がったのは、禅師の力とされております。
このお2人の徳をお慕いして、お釈迦さまと合わせ一仏両祖と申し上げるのです。
一方、ご法事がお寺で営まれる時は、もちろんご本尊さまがちゃんとおまつりしてあります。
正面はお釈迦さまですが、左右の仏さまはお寺、地方によって違う事があります。
一例を文殊さまと普賢(ふげん)さまにとってご説明しましょう。
文殊さまは獅子に乗っておられ、「文殊の智恵」と言われるように特に智恵にすぐれた仏さまです。
右手に持っておられる剣は智剣と言い、次々とわいてくる愚かな考えを切り払うものです。
聖僧文殊菩薩
また普賢さまは、白い象に乗っておられる姿が語るように、お釈迦さまの教えを広める為に人々の間に分け入って、その悩みや願い事を聞いてくださる仏さまです。
お釈迦さまの慈悲、文殊さまの智恵、普賢さまの行動力が互いに助け合って人々を救おうとなさっているのです。
文殊さまも普賢さまも、菩薩と呼ばれます。
菩薩とは、一方でお釈迦さまのようにさとりを目指して修行しながら、一方では人々を教え導く仕事をなさる方々です。
お寺によっては、開かれた由来によって同じ菩薩でも観音さま、地蔵さま、弥勒(みろく)さまをまつったり、薬師さま、阿弥陀さま、大日さまなどの如来(にょらい)をご本尊としている事もあります。
菩薩が修行中の仏であるのに対して、如来は修行を成しとげた仏さまを指します。
ですがら、菩薩は人々に攻徳をほどこす事で完成をめざし、如来は完成された姿を我々に示して下さっているのです。
静かに坐って待つ
ご法事には、決して遅れないように心掛けしましょう。
それが仏さまにも、施主にも参会者に対しても守るべき礼儀です。
まず仏さまに手を合わせ、席につたら静かに坐って法事が始まるのを待ちましょう。
座布団は、敷かない方が良いのですが足のしびれやすい人が増え、座布団や当てもの、椅子を用意する家庭やお寺が少なくありません。
その場合でも背筋を真っ直ぐにして坐って下さい。
おしゃべりは慎みましょう。
顔見知りの参会者とは、つい話しがしたくなります。
けれども、ご法事の席だからというだけでなく、しゃべりたい気持ちを抑える事が大切です。
ご本山(永平寺・総持寺)など修行道場では、僧堂・浴室・東司(とうす=便所)を「三黙道場」(さんもくどうじょう)と名づけて、厳しく私語を禁じてきました。
様々な欲望に打ち勝つ事は、お釈迦さまの尊い教えです。
ご法事で無駄話しをしない事もひとつの修行と考えて下さい。
服装を正して
男性も女性も、黒っぽい衣服をつける事は、すでに知れわたっています。
しかし、黒という色に特別な意味があるわけではありません。
落ち着いた地味な色であれば良いのです。
仏さまの前で慎む心があれば、自然に慎み深い服装になるでしょう。
心は必ず形に表れ、形は必ず心を定める、形の乱れは心の乱れと考えて服装を整えたいものです。
けれども形式にとらわれすぎて、心を失っては何もなりません。
例えば突然、知人の訃報(ふほう)に接して、勤め先からお通夜にかけつける事があります。
喪服に着替える時間がないならば、平服でも少しも構いません。
喪服がないからと、お悔やみに行くのを止めてしまうのは、それこそ心ない事です。
そういう急場では、悲しみに動転して不祝儀袋の表書きを書く墨をするのももどかしい。
したがって文字は薄墨色、中のお香典のお礼もきれいなものを用意する余裕がない。
それを握りしめてお通夜に馳せ参ずる。
いま香典袋や弔問への礼状がしばしば薄墨色で印刷されているのは、そういう祖父たちの弔意が形になって残ったものと言えましょう。
ただ形を真似るのでなく、何故そういう形になったか底に流れる心を忘れたくないものです。
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